冬季自主トレの5(桂木の観音さま)

今日は朝8時からがっつり釣り場に籠ってみる。
気温が低いが人も少なく絶好の気配。毛鉤もいろいろ巻いてきましたよ。

早速岬の上から、沈降カディス王蟲胴、江夏さんとガシガシいったがアタリなし。
BHマラブーに替えたところでようやくチャンスがきたが痛恨のバラし。それも3回。
その後釣れる気配がなくなったので深瀬、小橋下に移ったが、こちらも一切アタリなし。
魚は見えているんだが…

1度暖をとりにメイフライに戻ったところで、スタッフさんの秘伝毛鉤「沈むパラシュート(受付で販売中)」を授かり、白泡で出直し。

スタッフさんのヘルプのおかげで白泡前よくなり4尾あげる。
(11:46、12:04、12:16、12:21)
その後続かなくなったところで場所を移り、1時間程粘ったがアタリ出ず。昼休憩をとる。

14時から釣り再開。今日の釣りはバレてばかり。せっかくのチャンスなのだがもったいない。

15時になって深瀬でようやく5尾目。

スタッフさんにつき合って頂き終了間際に6尾目。実に苦しい展開。

今日中に残り1桁にもっていきたかったがままならず。とくじろう無念でござる。

翌日は気をとりなおし毎年行っている高麗神社へ参拝に。
ここへ詣でるとたいそう出世するとかいうことで有名で、毎年正月はどえらい渋滞になるのだが、今年は日をずらしたせいか程良い混み具合。
(ワシは会社員でないのであまり関係がないが、会社員の方は参拝されるが吉)

その後は車で10分程のところにある山寺、桂木観音へ。
子供の頃はこの辺りに住んでおったので、よく登りに出かけた。ワシにとっては最もなじみ深い神社である。

梅雨の紫陽花が有名なのだが、個人的に1番いいのはやはり紅葉の頃だと思う。

関東平野に向かって(東京スカイツリーも拝めます)鐘を撞け! さぁ、撞け!

「鐘は静かに撞いて余韻をお楽しみください」 (念のため)

非常に面白い由来話。行基があの時代にこんなド田舎にやってきたとはさすがに信じ難いが… ※1

小さい神社なので「今年もよろしく頼んます」というより、「おかげさまで去年もなんとか暮らせましたで」といった感じの報告詣でになってしまうのだが、小さい頃からワシはなぜかここの観音様が好きなのである。

今さらこれといった願い事もないのであるが、まぁあえてあげるとするならば、結局こういうことになるのだろう。

マイナス6尾で残り10尾。


※1
桂木観音 桂木寺略縁起

何はともあれ武蔵国入間郡桂木の観世音は行基菩薩の御作りになったものである。
その由来は、元正天皇の養老三年(七一九)という。この山の附近に、紫の雲がしきりにかかるので人々は何事か不思議なことが起こるのではないかと心配していた。
その頃、行基という世に有名な高僧は霊力を使って、広大無辺な佛の慈悲を呼ぶ術を持っていたとか。
この山を尋ねて、頂上近くまで来たとき、何んともいえない芳い香りが一面に満ちている所に差しかかった。その場所は、あの紫の雲のかかる所である。
行基がそこに着くと、紫の雲と共に楽の音が空高く響きわたり、あたりが金色に輝いたと思ったら、威風堂々とした観世音が現然と現れた。
行基は六才で佛門に入り、唯一途に佛に仕えて今日迄来たが、今その念願がかなって、貴いそして幾時も夢に見ていた観世音に会えた喜びは、その長い修行の労苦に報われたと感激の涙は止めどもなく流れた。
都からの長旅ですっかりほころびた衣の袂は涙を拭くのに忙しく、乾く間がなかった。
観世音を慕う心は、その慈悲に報ゆるために、その地に草庵を建て、唯一心に観音経を唱えたという。そのような毎日を送っていた或る日、老翁が訪れて、「この山は観世音と縁の深い霊地である。それ故天上の神仏が御守りしているのである。若し、貴僧が観音を彫って祀るというのでしたらその霊木のある場所に案内致しましょう。」といったので行基はその親切を有難く思って、老翁に従いて大峯という所に行った。
そこには千年余りも経ったかと思われる大杉が立っていた。風雨に耐えぬいた霊木は良い香を放ち木梢は紫の雲の中に覆れていた。行基はこれを見て、「立派な良い杉だ。」と感嘆した。老翁はこの一言を聞くと安心して紫の雲の中に消えてしまった。この杉を材料として、二米余の千手観音と廿八体の脇士を彫刻したという。(今日ある御本尊がそれである。)
昔の人の言い伝えによると、岩殿山の観音は同じ時、同じ材料で作られたと。
この様に由緒高い観世音であったので、その評判は近隣はもとより、遠くの地まで拡がり、その後利益を受けようと集る人々は日を追ってふえていった。水難・火難はもとより、重病で医薬から見放された人々も参詣し、或は体の動かせない人は遥拝することで、その御利益は十分あったという。
このように観世音に心を寄せる人々は、その慈悲の偉大さに報いるために多くの浄財を寄贈したので遂に七堂伽藍が建立されたという。
その瑠璃色に輝く扉は、天井高く開けたので、外の景色が採り入れられたのでその様は丁度水晶玉を透して見ているようであった。
観世音は慈眼で無限に拡がる武蔵野を見守っておられる。秋の夕景色は澄みきった空に月が輝き、草々の葉に露玉が浮び月を映す様は、宝石をちりばめたように美しかった。また蟲の奏ずる楽の音は、更にこの世の歓喜を倍加させずには置かない。
観世音の背後の景はどうかというと、秩父連山が急追して屏風となり、その山麓にある龍ヶ谷の春の朝は霞のたなびく間に間に桜の華が咲き乱れて香る風景は実にすがすがしく、この世の汚れを取り去ってくれるように思われた。このように良い環境の中に観世音はおられるのである。
然しながら今ここで残念なことが興きようとしている。それは世の慣いとはいえ、有為転変、観世音も例外というわけにはゆかないのである。昔栄えた霊場も年月には勝てず、千数百年も経てば建物は朽ち果てて見る影もなく、その痛ましい様子は昔の隆盛であったことを知る人が見たら涙なくしては見られないのである。それでも今日、未だに参詣者が絶えないのは、やはり観世音の御利益の賜物である。
この世の生物は幾時かは死を迎えなければならない運命にある。人の一生は長いように想うかも知れないが、大自然から見たら一瞬の出来事でしかないのである。それゆえ、その大切な一生を有意義に過そうと思ったら早速この霊場にお参りするとよい。
観世音は疑うまでもなく必ず希望をかなえて下さいます。
極楽浄土を描いた情景で、天人が舞い、人々が歓喜に満ちあふれた姿が画かれている。その浄土は西方にだけ在るのでなく、ここ桂木観音にも在るのである。
それゆえ、皆ての人々が一生懸命に観音経を唱えますよう御勧めします。
観世音の功徳を述べながらの略縁起となりました。

文化八年(一八一一年)正月 現住職 再板してこれを残します。