堂平天文台

「星空観測会」というキーワードに導かれ、仕事帰りに高速を突っ走り、都幾川から白石峠を上がり堂平山の山頂にある堂平天文台へ。

なんとここは宿泊可能ということで、今回はテントを持参し宿泊がてら今宵ゆっくり星空を撮影してみようということに。

他にゲルやログハウスもあって、なかなかの施設のようです。

時間になったので隣の天文台へ向かう。

おらが村の天文台って感じで下界から続々と車があがってきます。

目玉はこちら口径91cmの反射望遠鏡

かっこえー。ものものしい感じが実にナイス。これでレーザーが出たらそれこそ反射衛星砲じゃな。

あいにく空が曇ってしまって星が見えず、雲間から時々覗く月の表面や土星の環を観察。
ワシも一度は諦めてテントに戻り夕飯を食べていたのだが、夜8時半近くになってようやく星が見えるようになったので、急いで天文台に戻ると、ちょうど白鳥座の観察をしていたところ。列に並び望遠鏡越しに白鳥座二重星アルビレオの美しい光を観ることができた。

話声からすると皆さん遅くまで和気あいあいとやっていたようです。
ワシもゆっくりしたかったのだが、いつまた空が曇ってくるかわからないので、適当なところでテント場に戻ると、今回持参したポータブル赤道儀をセット、水準器をみながら台座の水平をとる。

赤道儀を北に向けた後、赤道儀用雲台の高度目盛を見ながら緯度を合わせると、極軸望遠鏡の先に北極星が映る。
宇都宮   35°33′
前橋    36°23′
新宿    35°41′
堂平天文台 36°00′22″
横浜    35°26′
天神平   36°49′08″
富山    36°41′
金沢    35°35′
甲府    35°39′
長野    36°39′

これでだいたいはいいのだが、厳密には北極星も地球の地軸の先からは少しずれているので、季節、時間によって地球から見える角度が少しだけ異なるらしい。赤道儀の経度差を調整(デフォルトは東経135°)。撮影地の経度との差をセット。
宇都宮   139°53′
前橋    139°03′
新宿    139°41′
堂平天文台 139°11.7′
横浜    139°38′
天神平   138°56′52″
富山    137°12′
金沢    136°37′
甲府    138°34′
長野    138°10′
堂平山では139.11-135=+4.11。
セット完了後、クラッチをフリーにしてから撮影日時に合わせて月日目盛を回転。クラッチをしめる。
極軸望遠鏡をのぞきながら「6」の位置に北極星がくるように調整。ただし地球の歳差運動による地軸の向きの変化(約25,800年周期)を考慮して歳差誤差分ずらす。

赤道儀の先の自由雲台で撮影したい方角にカメラを向ける。ピント合わせはMF。ライブビューで明るい星に合わせる(ここが鬼のように難しい)。
赤道儀の電源を入れ「恒星追尾モード」にしてから、バルブ撮影開始。
ISO400 F2.8 で露出2〜4分前後。

天の川もわずかながら写りました(流星のように見えるのは実は飛行機のライトだったりします…)。

ー堂平観測所の歴史(天文台内の説明板より)ー
「堂平観測所は、埼玉県小川町、都幾川村東秩父村の境界にある標高876mの堂平山の山頂に、当時の東京天文台の観測所として1962年に建設されたものです。主観測装置として、当時としては国産で最大の口径(国内では岡山188cmに次ぐ第2位)をもつ91cm反射望遠鏡が設置されました。東京に比較的近く、アクセスが容易なこともあって、夜行観測室、極望遠鏡、ベーカー・ナン・シュミットカメラ、自動流星儀、50cmシュミット望遠鏡、月・人工衛星レーザー観測装置などがつぎつぎに設置され、多くの研究者が観測に訪れました。188cm反射望遠鏡をもつ岡山天体物理観測所と並んで、堂平観測所は、日本の天体観測の中心のひとつでした人工衛星の観測もここで永いこと続けられましたし、回帰した彗星もいくつか初検出されました。おおきく話題になった「しし座流星群」1965年の前回の回帰は、この堂平で観測されています。天王星のリングを最初に発見した1977年の観測にも、この堂平観測所が参加していたのです。
地球と月の距離の測定もここ堂平で行われました。
開設当時、堂平の空は暗く、微光天体の観測も可能でした。しかしその後、夜空は急激に明るくなりました。高度成長に伴って、都市の空は明るく照らされ、東京に近い堂平観測所の観測環境は急速に悪化したのです。一方、世界各地に大口径の反射望遠鏡がつぎつぎに建設されるにつれ、たった91cmの鏡による観測の意義はしだいに低下しました。それに加えて、1999年には、堂平のなんと9倍の口径を持つ「すばる望遠鏡」がハワイで観測を開始したことから、堂平観測所の存在意義は非常に小さくなったと判断されました。その結果2000年3月に閉所されました。
設置されていた観測装置の多くは、すでに他に移設されています。日本で最初に作られた大口径シュミットカメラである50cmシュミット望遠鏡は、東京上野の国立科学博物館に引き取られました。
堂平観測所で観測、研究した多くの天文学者は、日本全国の天文台の第一線で活躍しています。
91cm反射鏡は2002年9月に国立天文台より譲与されました」